<第51回>
平成7年、第四十七回目の正倉院展は、戦後この院展以外に3回、宝物の展覧会があったことからそれらも含めると50回目に当たっていた。それに因んで第一回正倉院展(昭和21年)で公開された33件の宝物を中心とした展示が行われた。
木製品としては、まず中倉からの、紫檀木画双六局(したんもくがのすごろくのきょく、すごろく盤)があった。この品は平成3年の第43回展にも出陳されていたがその時の文では品名を挙げただけであった。この双六盤は、縦30.6、横54.5、総高17.8cmで周囲に側板をつけ、四隅と長い方の側面の中央に計六個の床脚を立て地摺が付いている。側板の稜角・四隅の床脚の角・地摺の稜角に象牙の角貼(かどばり)が施されている。盤面は、両長辺中央部にツゲの木口(木の長軸方向に直角の断面)材の三日月形を入れ、その月面に木画で唐草文が入っている。それらの左右にそれぞれ各六個づつの花文木画が並んでおり、この花文は双六の駒を配する位置を示している。側板外面には、花唐草文を主として、その間に飛鳥・飛雲および、鳳凰に乗って飛ぶ人物の姿があり細やかな文様が精緻に表現され、さらに、床脚にも花唐草文と雲文、地摺には上面には花菱文、側面には小花文を配している。宝庫にはもう一面これとほぼ同工の双六盤が伝存しており、これも後に拝観したが何れも優劣つけがたい、ため息の出そうな細やかな工芸品であった。
矢張り中倉からの青斑石硯(せいはんせきのすずり)が出ていた。これは昭和62年、第39回展で観た品であったが、その時の展示を扱った拙文では触れなかったので今回それについて記す。
縦14.8、横13.5cmの須恵器の硯が正六角形の青斑石の床石に嵌め込まれており、それが長径30.5、 総高8.0cmの木製台の上に据えられている。その台も正六角形で、天板の芯はホオノキという。床石の周りを囲む上面は紫檀が貼られ、縁に甃(いしだたみ)文木画をめぐらしてある。側面には中央に矢筈文木画(やはずもんもくが)、その上下に甃文木画を配し、稜線には象牙を貼る。床脚は紫檀製でツゲ材を裏張りし、刳形には象牙を貼る。畳摺も紫檀製で、上面と側面を矢羽文等の木画で飾り、稜線には象牙を貼ってある。この木画は緑に染めた角、象牙、紫檀、ツゲ、黒檀、錫を組み合わせたものといい、硯及び床石もさることながら、この木製台の美しさが須恵器と石を一層引き立てている。
中倉から蜜陀彩絵箱がでていた。これは平成5年、第45回展で拝観し、その時の拙文で触れた品と同名であるが、これはそれよりも深くしかも床脚がついているので総高が21.3cmと前者より約cm程高い。文様も異なるが、一番の違いは由来がはっきりしていることである。この箱の蓋表に貼紙があり、"納・丁香青木香・会前東大寺"の墨書により、これが大仏開眼会の前に丁香(ちょうこう)と青木香(せいもくこう)を東大寺に献納した時の容器であることが判る。中に丁香が少量残存している由。
蘇芳地金銀絵箱が中倉から出ていたが、これは昭和62年、第39会展でも拝観し、その時の文で触れた。蓋表には宝相華唐草を全面に描き、中央に領布(ひれ)を翻して舞う半裸の童子と、その下で縦笛と鼓で奏楽する二童子を表す。蓋表の左斜め下から、二童子の辺りにかけては何かで擦ったような文様の剥落が目立つ。
平成4年、第44回展でも出ていた粉地彩絵八角几(ふんじさいえのはっかくき)があった。
この品は宝庫に伝存する多くの献物几の中で最も華麗で保存のよい品の一つといわれ、奈良朝暈繝(うんげん・gradation)彩色の工芸品の代表的な遺例と評価されている。