<第65回>
平成十年、第五十回目の正倉院展の木工製品では、以前に既に拝観したかの有名な漆胡瓶の他、これも前に出ていた木画紫檀双六局、それのもつ政治的背景が重要とされる矢張り以前に拝観した赤漆文欟木御厨子が出陳されていた。
以前に拝観した紅牙撥鏤尺の他の色のがあった。同じような造りで配色の異なる緑牙撥鏤尺である。これは紅牙のそれより幅、厚さが少し大きく作りは豪快かつ端正と評される。舶載品の可能性が高いとされ、六枚の紅牙のそれと共に緑牙の二枚も赤漆文欟木厨子に納めて奉献された。
以前に拝観した子日目利箒(ねのひのめとぎほうき)と子日手辛鋤(ねのひのてからすき)も出ていた。
この年は伎楽面が6点出ていて、伎楽面中ただ一つの女面である呉女(ごじょ、当時は「くれおとめ」と呼ばれていたという)が出ていた。呉女は法隆寺献納宝物中に二面ありといい、全部では三面あるが、これは髻(もとどり)が左右にあり、頬も下膨れではなく他の二面とは異なる由。伎楽の最後に登場する胡人(西域諸国の人)の酔っ払い(酔胡)の集団の長である酔胡王の面があった。八人の従者(酔胡従)を従える長は最も凄みのある面構えで、つり上がった眉、極度に内転した眼球、三日月形の口、そして何よりも極東の人ではない尖って口の前まで達する鼻尖。赤味の強い皮膚。凄みの裏返しは何とも言えずユーモラス。何れも桐材で作られ必要に応じて他材を剥ぎつけてある。
他には几(机)が2点。その一つは、蘇芳地金銀絵花形方几(すおうじきんぎんえのはながたほうき)。縦38.2、横41.2、高10.0cm。天板は檜材の柾目の一枚板で長方形の各辺に四つの弧を刳って花形とし、側面は弧の部分が緩やかに膨出しながら下端へと斜めに内側へ下る。上面はかって淡紅色であったが殆ど剥落。見所は側面の彩色で、膨出部は蘇芳色の地に金泥で花喰鳥と花卉、陥凹部は同じ地に銀泥で珠文を描く。華足(けそく)は葉形を二段に彫り出し、白地に上段は青、下段は赤を暈し塗りし、上下とも金泥で葉脈を描き加えてある。
もう一つの机は、粉地金銀絵八角几(ふんじきんぎんえのはっかくき)で、長径45.2,短径43.3、
高9.6cm。天板は檜材の板目の一枚板。円形に浅い刳りを加えて僅かに横長の八稜形。側面は花形方几と同じように緩やかに膨出して波うち、下端は斜めに内側へと下る。上面は淡い白。濃い白で縁取り、側面、下面も濃い白とし、側面には金泥と黒による花卉文が連なる。華足は葉形を二段に彫り出し、その表裏とも濃い白を塗り、銀泥の縁取り線を施す。
木製の箱では、沈香木画箱(じんこうもくがのはこ)があった。縦12.0、横33.0、高8.9cmの長方形で印籠蓋造り。素地に柿材を使い、蓋・身とも沈香の薄板貼りを基本とし、上面、側面は紫檀の帯で囲って、内外の二区に分け、上面及び長側面には三、短側面に一の長方形の区画を設け、その中に山水を背景にした鹿の図、雲中麒麟図、花卉図の三種が配されている。それらの絵の上に水晶板を嵌めて絵を透かし見せる。水晶板の縁と稜角沿いには石畳文と矢羽文の木画を施し、その材料には紫檀・白牙・鹿角・黄楊木(つげ)などが使われている。兎に角、表現が難しい手の混みようで、正倉院の箱の中でも特異な部類のようである。
他に、紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ・寄木細工の琵琶)と新羅琴があった。前者は宝庫に伝存する五面の四弦琵琶の一つで、これらはペルシャにその起源をもち、早くに中国に伝わり、奈良時代にわが国にもたらされたという。