<第72回>
第五十四回正倉院展のつづきで・・・・・・
銀平脱龍船墨斗は寄せ木作りで、形が出来上がった後布着せ(寄せ木作りなどでその強度が問題になるとき、麻布などを被せその上から漆を塗り重ねる)をし、全面に黒漆をかける。龍首部分と船体上方に多数の斑文を散らし、船体下方には花菱文を7個並べる。斑文及び花菱文は銀平脱によるが、銀板は龍頭部分の一部を残して殆どが剥落してしまっている。龍は口を一杯に開き、舌が正面に向って真っ直ぐに延びている。白目部分と耳穴の部分には朱と鉛丹(えんたん、古くからの日本画の赤色顔料、黄みを帯びた橙色で構造は四酸化三鉛)が残っていて、完成した当時はどんなにきらびやかであったか? 傷んではいるが残っている色彩から往時の美しさは想像に難くはない。
この回に展示されていた宝物で既に同一物ないしは同類を拝観した品々は、冠架、赤漆八角小櫃、赤漆六角小櫃、獅子を始めとする多くの伎樂面、双六局等であった。
平成十五年、第五十五回正倉院展における木工品は下記の如くであった。
銀平脱箱懸子(ぎんへいだつのはこのかけご) これは箱の口にかける薄型の盤で縦,横共23.5、 高2.2cm。木製黒漆塗りで、側面は波状の起伏をなし、四隅に大きな丸みがある。見込み(茶碗や鉢の内面)の中央と四方に花卉文を配し、縁には連珠文帯をめぐらす。これは箱の懸子(他の箱の縁にかけて、その中にはまるように作った箱)であろうが、これに合う箱は見当たらない由。このような懸子は奈良時代には稀とされるが、平安時代以後に手箱が盛んに作られるようになって多用されることになる。その前駆的な作品と考えられその点で意味がある。
漆瓶龕(うるしのへいがん) 総高27.2、胴径16.5cmの黒漆塗りの容器。一木を水瓶形に刳り貫き、収める水瓶の形に削り込んである。縦に半分に割り、夫々を片方でさす金具二個、他方に蝶番金具一個を取り付けてある。これに合う水瓶は見つかっていないという。
金銀絵漆合子(きんぎんえのうるしのごうす) 径10.0、蓋高2.5、総高5.1cmの円形、印籠蓋造りの小合子である。蓋面は低い甲盛をもち、甲面中央に金泥で鳳凰を描き、その周囲に銀泥で雲文を配している。用途ははっきりしないが、小物入れと考えられるとのこと。
黄楊木几(つげのきのつくえ) 縦36.2、横43.2、高4.3cm。大仏への献物を載せた机と考えられている。中倉には献物几と称される小几が27基伝存しており、その一つがこれ。四隅を大きく切って長八角形になっている。ツゲの素木(しらき)仕上げで四隅に床脚が二本ずつあり畳摺りを付けてある。天板、畳摺りとも床脚の部分には魚々子地(ななこじ、小さな丸い粒を並べた地文様。粒の密集する様が魚の卵に似ていることからかく称される)に線刻による唐草文を施した金具が鋲で留められている。 金銀絵長花形几(きんぎんえのちょうはながたき) 仏への献物を載せた机で、長径49.0、短径18.3、高9.8cm。本品は宝庫に伝来している献物几のうちで天板の形が最も特徴的といわれる。それは、長側面に猪の目形(板状の素材に、刳り抜いてつけるハート形の文様で、その形が猪の目を連想させることからこう呼ばれる。器物の飾り金具などには猪の目形を透かしたものがあり、これを猪目透という)の刳り込みを入れ、短側面は三稜と猪の目を形作る突起が両側にある。側面は裾すぼまりの大きな局面を取る。天板の材はヒノキ、華足の材はスギ。天板は中央に白緑、周縁に蘇芳を塗る。側面は墨で斑を入れ、その上に蘇芳を塗って紫檀に見立て、更に金銀泥で花枝や花喰鳥を配してある。天板裏面の六つの華足は全体を白色に塗り、銀泥で葉脈を描いている。
この回の展示品のなかで、以前に拝観した同一物ないし同類の品は、木尺、玳瑁杖、馬鞍、平脱鳳凰頭、漆小櫃、漆小几、碧地金銀絵箱、沈香木画箱、粉地木理絵長方几、桑木木画棊局であった。