<第28回>
漆工芸(品)の歴史と現状 その23
輪島塗 その1
漆(芸)といえば輪島、輪島といえば漆というくらい輪島はわが国を代表する漆器の産地であり又かつて漆器をjapanといわしめた漆芸の総本山である。
毎年、東京を皮切りに全国をおよそ1年かけて巡回する「日本伝統工芸展」があるが、それとは別に年末に東京で始まり翌年の4月初めまで巡回する「日本伝統漆芸展」がある。これが巡回するのは、東京の次は輪島であり次いで高松、岡山の4会場のみである。その展覧会に入選した漆芸家達の出身地を昨年第29回展から拾ってみると全109点(一人一点)の内、33人が石川県在住であり、更にその内の22人が輪島市で仕事をしている人達である。 入選者が次に多いのは香川県で19人。同展が高松を巡回する由縁である。東京からの入選者は10人、岡山県からは6人であった。神奈川県の5人、富山県、千葉県、愛知県からの夫々4人がこれに続く。
全国に伝統的工芸品に指定されている漆器産地は23箇所あるが、指定されていても出品のない県、入選者のない県もあるし、逆に指定産地がなくて入選している工人がいる県が12あった。漆芸の重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)は現在9人であるが、その方達の居住地は石川県が3人、香川県が2人、東京、埼玉、茨城、奈良の4都県に各1人で、東京及びその近隣には東京芸大の教授、名誉教授が住まっておられるという状況による。
岡山県には伝統的工芸品指定の漆器産地はないが、元々民芸運動の盛んな倉敷で漆芸を志している人が多いことと関連していると思われ、こうして展覧会を通してみると伝統漆芸展が巡回する4箇所は漆芸家が多い所とみなしてよさそうである。
石川県には伝統的工芸品に指定されている漆器産地が一つの県としては唯一、3箇所(輪島、山中、金沢)あるが輪島塗を絢爛豪華とすれば山中漆器は地味で全国各漆器産地の木地供給地、金沢漆器は高雅で気品が漂う といってよいであろうか?一県に2箇所の伝統的工芸品指定漆器産地があるのは岩手、新潟、福井、神奈川の4県である。
かつてヒマラヤから日本列島本州南部に亘る「照葉樹林文化」論が唱えられ東アジアにおける文化的な共通点が論じられた。ただ、漆の木は落葉広葉樹であり照葉樹ではない。しかし漆の利用が日本を含む東アジアに特有のものであることは事実である。長い間、漆の利用は中国から伝来したと考えられていたが、北海道函館市垣ノ島遺跡の縄文時代早期の土坑墓(どこうぼ)からの遺体が身に着けていた織物状の装飾品、腕輪、玉状の飾りに漆が認められそれらは材料となった糸そのものに漆を沁みこませたものであることが判明し、遺体の放射性炭素14による年代測定で約9000年前のものと判定された。この事実により日本における漆利用はそれまでより一気に2000年近く遡り中国での年代が確定された漆よりもさらに古いことが明らかにされた。ただその時代における漆の利用は漆の持つ防腐、耐熱、接着作用を古代の人達が体験的に知ったことから始まったものであろうから、漆を塗った土器や櫛が遺跡から出土したからといって、それは漆芸とはいえないであろう。漆芸の始まりは漆のもつ優れた特性に基づいての様々な器物の大陸からの伝来による。
高速道路、新幹線の延長などの大事業の進行により自然破壊も進んだかも知れないが遺跡の発見、発掘、それの保存も進んだ。縄文時代の主な漆製品の出土地も増える一方で北は北海道の南部みではなく東部からも、本州は北から南まで主に日本海側に沢山の出土がある。殊に能登半島周辺に多くこの地で古くから漆が使われていたことが判る。ただそれが現在の輪島塗と直ぐに結びつくのかはなんともいえないらしい。
輪島塗の起源についてはかの根来の僧が来て伝えたとか、能登半島柳田の合鹿椀(ごうろくわん・合鹿は地名、その形、高台の高さなどから後の輪島の椀に似ているというが全体に大振りで渋下地は平安時代後期まで遡るがこの椀の特色である口縁部の布着せはむしろ輪島の椀の影響を受けているといわれ古美術界での評価が高い椀)からとかいわれるが、根来以前に輪島塗は存在しており両者ともに輪島塗の原型とはなり得ない。